カート・アングル

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カート・アングル(Kurt Angle 1968年12月9日-)は、アメリカプロレスラー、元レスリング選手。本名カート・スティーブン・アングルペンシルヴァニア州ピッツバーグ出身。身長178cm。体重102kg。TNA所属。

来歴

学生時代からレスリングで活躍。1996年アトランタオリンピック金メダルを獲得。引退後、CM出演、地元のスポーツキャスターとして活動していたが、プロレスラーに転向した。

1998年WWE(元WWF)とマイナー契約。ドリー・ファンク・ジュニアトム・プリチャードのコーチを受ける。インディ団体の修業期間を経て、1999年11月満を持してWWEにデビュー。翌2000年2月に、バル・ビーナスからWWE・ヨーロピアン王座を、続いてクリス・ジェリコからWWE・インターコンチネンタル王座を獲得した。しかし、レッスルマニア2000で行われた両タイトルを賭けた三つ巴戦で、クリス・ベノワにIC王座を、クリス・ジェリコにEU王座を取られた。

同年10月22日、ザ・ロックを破りWWE王座を獲得。同年にギミック上の夫婦だったトリプルHステファニー・マクマホン三角関係ストーリー、ストーン・コールド・スティーブン・オースティンとの抗争を展開するなど、試合のみならず、ストーリー上においても中心人物の一人となった。

2001年、WWF対アライアンス抗争では、主力として活躍。その間に、WCW王座を獲得するなどの快挙を成し遂げた。

2002年のWWEブランド分割時にドラフト2位でスマックダウンに加入。エッジと抗争を展開。敗者髪切り戦でアングルの敗北をもって抗争は終わった。以後、スキンヘッドとして活動する。秋からは宿敵クリス・ベノワとのタッグで初代WWE・タッグチーム王座決定トーナメントにエントリー。PPVノー・マーシー2002で、レイ・ミステリオ&エッジ組を破り、優勝を果たした。しかし、すぐに仲間割れをした。同年12月PPVアルマゲドンビッグ・ショーを破り、WWE王座を獲得した。

2003年、新人だったチャーリー・ハースシェルトン・ベンジャミンと共に、自らをリーダーとしたチーム・アングルを結成。レッスルマニア19のメイン戦でブロック・レスナーを相手にWWE王座を賭けて対戦。結果は王座を取られたもののレスナーと健闘を讃えあった。それ以後、首の治療のため欠場を経て、ベビー・フェイスに転向して復帰。チーム・アングルからは追い出される。復帰後もブロック・レスナーとストーリー上で絡んでゆく。

2004年2月、ヒールターンをする。レッスルマニア20で当時WWE王者だったエディ・ゲレロと王座を賭けて対戦。大会終了後、首の持病と2003年末に痛めた足首の治療の為、レスラー活動をいったん停止。スマックダウンのGMとして活動する。足の怪我が原因でレスリングが2度とできないと云うギミックで車いすにのって登場した。GM就任後もエディとの抗争を行う。7月に復帰。復帰の際は、ビンス・マクマホンにGM職の解任と試合復帰を命じられる形となった。エディとの抗争終了後、WWE所属ではない「地元の英雄」を招いて3分間自分と戦って耐えることが出来たら、金メダルをプレゼントする「招待試合」を毎回行った。

2005年ロイヤルランブルでWWE王座を賭けてJBLビッグ・ショーと三つ巴戦を行った。結果はJBLのクローズライン・フロム・ヘルを喰らい敗北。試合終了後、ナンジオのランブル戦出場権を奪って、急きょ参戦するも、ショーン・マイケルズによって敗退させられる。激昂したアングルは敗退後、マイケルズをリングアウトさせ鉄階段で攻撃した。これが後にアングルとマイケルズの抗争の発端となった。ロイヤルランブル以後、レッスルマニア21で行われるWWE王座挑戦者決定トーナメントにエントリーするものの、ノー・ウェイ・アウト2005の決勝戦でジョン・シナに敗れる。レッスルマニアでは、ショーン・マイケルズと対戦。この試合は名勝負として高評価を得た。

2005年のドラフトでRAWに移籍。WWE王者のジョン・シナとの抗争を開始。同年11月にデバリマネージャーに就く。ニュー・イヤーズ・レボルーション2006で自身初となるイリミネーション・チェンバーに出場するものの、敗退する。

2006年RAWとの契約が年内に切れたという設定で1月13日スマックダウンに移籍。同日当時WWE・世界ヘビー級王座を保持していたバティスタが毛がで王座を返上し、王座が空位となったため王者決定バトルロイアルに急きょ参戦し、優勝し載冠。ロイヤルランブル2006で、マーク・ヘンリー、ノー・ウェイ・アウト2006でジ・アンダー・テイカー相手に防衛する。レッスルマニア22のメイン戦でレイ・ミステリオランディ・オートンを挑戦者に迎え、世界王座を賭けた三つ巴戦で対戦。ミステリオがオートンをフォールして王座陥落した。

レッスルマニア22以降、キング・オブ・ザ・リングのトーナメントにエントリー。1回戦でランディ・オートンに勝利するが、4月28日に世界ヘビー級王座戦でミステリオと対戦中、マーク・ヘンリーの襲撃を受け負傷。2回戦を辞退した。ジャッジメント・デイ2006でヘンリーとリベンジマッチを行うも、カウントアウト負けをする。

5月29日のRAWでポール・ヘイマンの指名を受けてECWに移籍。オートンとの抗争を続け、ECWワン・ナイト・スタンド2006で勝利するものの、ヴェンジェンス2006では敗北。その後はロブ・バン・ダムと抗争するが、体調は以前にも増して優れず、8月13日のハウス・ショーでのロブ・バン・ダム戦で股間を始め全身を負傷。これが実質的なWWE最後の試合となった。

8月25日、WWEを解雇。WWE側は、「円満退団」とされていたが、実際はアングルがWWE側の「要求」を受け入れなかったため、解雇扱いにしたとされる。9月、プロレスを引退し総合格闘技への参入を証明した。(これは後述のTNA参戦のカモフラージュするためのフェイクだったためと言われている。)