「飯田覚士」の版間の差分

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[[2006年]][[11月]]、元世界王者の[[輪島功一]]、[[渡嘉敷勝男]]、[[レパード玉熊|玉熊幸人]]、[[戸高秀樹]]らとともに、元ボクサー・袴田巌が起こしたとされている[[袴田事件]]の再審を求める要請書を[[最高裁判所]]に提出。彼の無罪獲得・冤罪認定のため活動を続けている。
  
また、[[北潟谷綜]]の師匠としても知られている。
 
  
 
== 来歴 ==
 
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* [[ボクシング日本王者一覧]]
 
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* [[世界ボクシング協会世界王者一覧|世界ボクシング協会(WBA)世界王者一覧]]
 
* [[世界ボクシング協会世界王者一覧|世界ボクシング協会(WBA)世界王者一覧]]
* [[北潟谷綜]](一番弟子)
 
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==

2008年10月26日 (日) 06:12時点における版

飯田 覚士(いいだ さとし、1969年8月11日 - )は、愛知県名古屋市出身の元プロボクサー(緑ジム所属)で、WBA世界ジュニアバンタム(スーパーフライ級)王者に輝いた。愛知県立大府東高等学校岐阜経済大学経済学部卒。

大学在学中の1990年バラエティ番組天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の企画「ボクシング予備校」に参加。甘いマスクで人気を博す。こうした経緯から人気先行ボクサーと目され、俳優の松村雄基を彷彿する顔立ちで「アイドルボクサー」の風評に悩まされるが、熱心な練習と科学的トレーニングにより世界王者にまで登りつめた。緑ジム関係者は当時の飯田について「パワー、スピード、テクニックに目を見張るものはなかったが、とにかく頭のいいボクサーだった」と語っている。

現役引退後は、子供向けボクシング教室を開設して底辺拡大に励みつつ、舞台で活躍する等、芸能活動にも勤しんでいる。日本テレビ系列のボクシング中継で、解説者として出演することもある。口調は淡々としているが、解説は的確で、ボクシングファンからは高い評価を得ている。また、ボクシング専門誌ボクシング・ワールドで毎月、内藤大助ファイティング原田などの新旧有名ボクサーをはじめ、漫画家の森川ジョージ、俳優の速水もこみちなどのボクシングファンとも積極的に対談を行っている。

2006年11月、元世界王者の輪島功一渡嘉敷勝男玉熊幸人戸高秀樹らとともに、元ボクサー・袴田巌が起こしたとされている袴田事件の再審を求める要請書を最高裁判所に提出。彼の無罪獲得・冤罪認定のため活動を続けている。


来歴

通算戦績は28戦25勝(11KO)2敗1分。

日本プロボクシング史上唯一、デビュー戦からラストファイトまで首尾一貫してスーパーフライ級で戦い、世界王座を獲得して指名試合をクリアした選手でもある。

獲得タイトル

  • 全日本スーパーフライ級新人王
  • 日本スーパーフライ級王座(防衛1=返上)
  • WBA世界ジュニアバンタム級王座(防衛2)(2度目の防衛よりスーパーフライ級に改称)

関連項目

外部リンク