子供

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子供(こども)は、年齢の若い者(年少者)、未成年者成年に達していない者)、親もしくは大人の庇護を受けている者、小人(しょうにん)を指す。または親族において、などの前の世代にあたる者に対して息子などの後の世代にあたる者を意味することもある。

しばしば表記を巡って「こども」「子ども」「子供」のいずれがよいものか争われる(下段参照)。俗語では「ガキ」(餓鬼)・「ジャリ」(砂利に由来)とも。

定義

何歳までが「子供」とするかについては、子供観での慣習あるいは法制などで異なる。例えば、日本においては、選挙権行使、喫煙飲酒馬券等の購入・換金は20歳から、パチンコポルノは18歳から、婚姻できるのはは18歳、は16歳から(ただし、20歳未満は親の同意が必要)、また犯罪を行った時に刑事処分可能となる年齢は14歳からとされるなど、制度上の年齢基準は個別法により異なり統一されてはいない。

また、子供と大人の間に青少年というカテゴリーを設ける場合も、その境界線は一定ではない。ただ大雑把な分類として、日本では以下のような分け方がある。

昨今の国民投票法案可決の事例とその内容から、成人年齢等の見直しの声も一部にある。

表記について

子供・子ども・こども

教育福祉などの世界では、「子供」という表記を避けて「子ども」または「こども」という表記が推奨されることがある。 その理由として挙げられるものには、以下がある。

  1. 「子供」の「供」の字は、「お供」、すなわち子が大人の付随物であると連想させるため。
  2. 「子供」の「供」の字は、に奉げる「供え物」の意味につながるため。
  3. 「子供」の「供」は当て字であり漢字意味はないので、ひらがなにすべきである。
  4. 「子供」よりも「子ども」「こども」と表記した方が、ソフトで親しみやすい印象を与える(差別であるとは必ずしも主張しない)。

「子供」という表記を避けるべきだと考える人々は、子供の「供」の字が差別につながると主張することが多いものの、必ずしもそれだけが理由であるとは限らない。第1・第2の理由は差別性の指摘だが、第3・第4の理由はそうではない。また、第1~第3の理由は「供」の字の使用に対する反対論であるが、第4の理由はそもそも漢字で表記することに対する不同意と見なすことができる。いずれにしても、これらの理由から、「子供」に代えて「子ども」・「こども」と表記されることがある。

一方、「子供」という表記が差別的であるとの上の第1・第2の意見に対しては、言葉の歴史的変遷に基づく以下の反論がある[1]

  • 「こども」の語源は、万葉集において「子」の複数を表す「胡藤母」・「子等」である。このうち「子等」は上代から室町時代まで用いられた。
  • 院政期頃から「子等」に代わって「子共」という表記に増え始め、複数の「子」を表すのに「こどもたち」「子共衆」などと呼ぶようになる。つまり、この時代から、「こども」が複数の「子」ではなく単数の「子」を表す意味でも用いられるようになった。
  • 「子共」が「子供」と表記されるようになったのは、近世に入ってからである。

つまり、「こども」の原義は、「男共」「女共」などと同じく複数をあらわす接尾語「共」・「ども」に由来しており、「供」は単なる当て字に過ぎないため、付随物や供え物などを含意していない。

さらに、「供」の字が差別であるか否かに関わらず、「子ども」という漢字かな交じりの表記に対する以下のような反対も存在する。

  1. これは言葉狩りの一例である。
  2. 「供」の字の使用は、法律で使うことが禁止されている訳でも、現在の日本社会において一般的には道義的なとされているわけでもない。
  3. 熟語を漢字とひらがなとの交ぜ書きにすることは、日本語についての美意識に反する(なお、「供」は教育漢字であり、小学6年で習う漢字である)。
  4. 「供」は、現代において複数の意が薄れており、「子供」で一つの語となっている(その論拠として、「共」ではなく「供」の字を使っていること、複数の「子」を指すのに「こどもたち」「こどもら」とも表現すること、また、「こどもが一人いる」という表現が成立すること、などが挙げられる)。
  5. 「子ども」の「ども」は、罵って「豚ども」「○○人ども」などと言う時の見下した他称表現と重なるので、「子供」よりもむしろ「子ども」の方が差別的になってしまう(「子ども」という表記に問題がないのであれば、こどもが先生に対して「先生ども」と表現することも問題のないことになる)。
  6. 当てられている漢字の語義を問題にするなら、「児童」の「童」には「しもべ」「愚か」という意味があるため、「児童」も同様に「児どう」と表現しなければならなくなるなど、現在一般に用いられている様々な漢字表記に支障をきたしてしまう。
  7. もし「子供」の「供」の字だけが差別であるのなら、「子供」に代わり古い時代に用いられていた「子共」という表記に戻すことで問題は解決する。

第1・第2の理由のようにこれが悪しき言葉狩りであるか否かは、賛否両者の根拠を検討することでしか判断できない。また、第3の理由である美意識の問題は、特定の時代における個人の主観に依存する部分が大きい。第4の理由は「供」の字に差別性はないという主張である一方、第5・第6の理由はより積極的に、「子ども」という表記またはその表記を強要することの方がむしろ問題があるという主張になっている。これらに対して、第7の主張は折衷案となる漢字表記を提案するものである。

こうした「子供」・「子ども」双方の表記に対する不同意・反対を受けて、すべてひらがなで「こども」と書くべきだという主張がある。この表記は、「子供」という表記に対する上記第4の反対論をさらに徹底した立場と考えることもできる。例えば、日本の国民の祝日の一つ「こどもの日」は、法文においても「こども」と表記されている。

教科書における表記

国語教育においては、必ずしも「子供」という表記が避けられているわけではない。以下、2007年現在使用されている国語の教科書について述べる。

小中学校の国語の教科書では、「子供」「子ども」両方の表記が行われており、少なくとも小学校では「子供」を用いている方が多数派である。中学校では、全5社中、「子供」が光村図書教育出版の2社、「子ども」が三省堂東京書籍の2社、両方見られるのが学校図書、とほぼ拮抗している。各社の教科書採択率を考えると、「子供」と記した教科書で学んでいる生徒の方が多数派であると考えられる。小学校では、5社(光村図書、教育出版、東京書籍、学校図書、大阪書籍)のうち少なくとも4社(光村図書、教育出版、東京書籍、学校図書)が、六年配当教育漢字である「供」を学習後は「子供」を用いている。(大阪書籍については確認していない。)小学5年まではどの教科書も「子ども」を用いているが、それは未習の漢字だからであり、「子供」という表記を忌避しているわけではない。


子供と権利

子供に対する社会一般の扱いは、カテゴリー化によって権利を侵害・抑圧しているという点で他の差別問題との共通点を持っている。しかし、子供は精神的・肉体的に未熟であり、保護教育が必要であるという観点から、子供が権利を行使する際に不十分な部分を親などの代理人が補うべきとされている。また、この親などによる補完は子供の成長に応じて制限されると解されている。

若中(こども)

ヤクザ社会において、舎弟(正規の構成員)扱いにならない準構成員的立場を、「こども」と表現する。山口組本家などがこの呼称を用いる代表例である。

参考

和文通話表で、「」を送る際に「子供のコ」という。

脚注

関連項目

外部リンク

子供という表記に関する問題
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